カテゴリ:女優 > 宮沢りえ

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20241003


1:
 女優の宮沢りえ(51)が3日までに自身のインスタグラムを更新し、撮影ショットを披露した。

 ファッションマガジン「L’OFFICIEL JAPAN」(ロフィシェル ジャパン)創刊号の表紙を飾った宮沢が洗練コーデを見せた。大胆に透けているワンピース姿では美スタイルでポーズを決めた。

 宮沢は一般男性と結婚し1女をもうけるも16年に離婚し、18年に元V6の森田剛と結婚。21年11月からは2人で事務所「MOSS」を設立し活動している。今年6月放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」(日曜・午後10時)に出演した際には、娘が同月に15歳になったことを明かし、夫の森田について「悩んだりする時に身内として話してくれるパートナーがいるのは心強い」と語った。

スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20241003-OHT1T51043.html?page=1

宮沢りえのインスタグラム(@riemiyazawa0406_official)より
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20240706


1:
 女優の宮沢りえ(51)が自身のインスタグラムを更新。ストーリーズで友達から送られてきた画像が話題に。

 宮沢は「友達よ、突然こーゆー写真送ってるくるの、や、め、て。」とロングヘアにデニムのパンツ、白のシャツ姿でピースサインを浮かべた10代のときと思われる自身の画像を投稿した。宮沢は1988年の15歳時に映画「ぼくらの七日間戦争」の主演で女優デビューを果たし、日本アカデミー賞新人賞を受賞。国民的美少女として人気を博した。

 宮沢は2009年に一般男性と結婚し1女をもうけるも16年に離婚。18年に元V6の森田剛と結婚。21年11月からは2人で事務所「MOSS」を設立し活動している。

OTTO!編集部
https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/843907

宮沢のインスタグラム(riemiyazawa0406_official)より
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1: 2022/11/24(木) 08:04:52.83 ID:FiCAcg0m0● BE:738130642-2BP(2111)
  世界で最も影響力のあるファッション誌『VOGUE』の日本版『ヴォーグ ジャパン』2023年1月号が、12月1日(木)に発売されます。「ワン・アンド・オンリー」をテーマに掲げた今号の表紙を飾るのは宮沢りえ、撮影を手がけたのは篠山紀信。伝説の写真集『サンタフェ』から31年、日本人なら誰もが知る最強タッグが再びヴォーグを舞台に競演を果たしました。

 撮影のテーマは「匠の技、日本の美」。この特別な撮影のために、ムッシュ ディオール本人が手がけた1949年春夏オートクチュールコレクションのドレス「ミス ディオール」が時を超え、国境をも超えて撮影のためだけに東京に届けられたほか、三宅一生や森英恵による1970年代の貴重な歴史的アーカイブドレス、友禅と初めてコラボレートし、当時世界的な話題となったヨウジヤマモトの1995年春夏コレクションも撮影のために集結しました。篠山紀信、宮沢りえだからこそなしえた、ヴォーグならではの「伝説の撮影」がここに実現しました。

 「篠山紀信さんは、今持っている自分の全部を出したいって思わせてくれるカメラマンです。篠山さん自身もそれを逃すまいと思って挑んでくれているのが、わかりますしね。今日は篠山さんとの撮影が久しぶりでしたから、そこに本当に心地よい緊張感と興奮がありました」と宮沢りえ。ヴォーグ ジャパンウェブサイトでは、11月24日(木)から撮影に密着したメイキングムービーとインタビュー記事も公開しています。

PR TIMES

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1: 2022/09/12(月) 18:16:54.93 ID:WwXjlE160● BE:738130642-2BP(2111)
 俳優の宮沢りえが、20日発売のファッション誌『ハーパーズ バザー』(ハースト婦人画報社)11月号の表紙に初登場する。

 宮沢は、ピンク×ブラックの新しい“モノトーン”を提案したヴァレンティノのコレクションをまとい、自由と喜びにあふれたモードの新境地を表現。長いキャリアを歩み、第一線にい続ける宮沢が“自身の内なるもの”について丁寧に語る独占インタビューも掲載する。

 11月号のテーマは「Power of the COLOR-私たちをエンパワーする色」。視覚的にトレンドを伝えるファッションストーリーや、仕事シーンにも使えるカラーコーデ術など、今季注目のビビッドカラーにフォーカスした秋冬ファッション特集を届ける。


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1: 2022/03/04(金) 11:17:13.04 ID:eN2w5Fzi0
これ美少女か?
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1: 2021/10/17(日) 12:55:50.16 ID:CAP_USER9
16日深夜放送『千鳥かまいたちアワ~』(日本テレビ系)に女優・宮沢りえが登場。世間を騒がせた伝説の写真集『Santa Fe』(朝日出版社)について振り返り、大きな反響が起きている。

1991年11月に発売された写真家・篠山紀信が撮り下ろした宮沢りえの写真集『Santa Fe』。当時18歳、人気絶頂だった宮沢のヌード写真集の発売に世間は騒然、異例の売り上げを記録した。

この日は千鳥とかまいたちがゲストの宮沢に質問をしていくなか、かまいたち・山内健司は「『Santa Fe』って自分でつけたんですか?」と質問。騒然とするスタジオを無視して「僕らが学生のころに出版されて…」と思い出を語りながら宮沢に尋ねていく。

「違いますね。ニューメキシコにサンタフェって場所があって」と自分でつけたタイトルではなかったと宮沢は言及。山内は「あれって自分で記念として撮りたいっていうふうに出たのか、どういう経緯だったのかスゴい気になったんですよ」とさらに質問を重ねる。

宮沢は「スゴくモデルさんへのあこがれがあって、ヌードに対しての抵抗感もそんなにはなかったんです、キレイだなって思っていて。(それでも)『撮ってみない?』って言われたとき、『イヤ~』ってなりましたね」と抵抗はないものの、最後まで悩んだと明かした。

それでも「撮ってみてイヤだったらヤメればいい。(出来上がった作品を見て)『キレイかな』って思って」と出版に至ったと宮沢は振り返る。

千鳥・大悟は「スゴかったもんな、あの衝撃。ホンマに『宇宙人の写真が撮れました』みたいのが本屋に並んでいる。とんでもないものが」と『Santa Fe』の衝撃を回顧。ノブも「うちのオヤジ、オープン前の本屋に並んでいた。早く手に取りたくて」と思い出して笑った。

伝説の写真集『Santa Fe』について宮沢本人が語った貴重な放送に、視聴者も反応。

「宮沢りえのサンタフェ発売1ヶ月前、朝の教室の沸きっぷり。今でも覚えてる」「宮沢りえちゃんのサンタフェ、すぐ振り込んで予約したっけな」「当時、サンタフェに興味はあったけど…結局、買わなかったなぁ」と当時を振り返る声が寄せられている。また「宮沢りえのサンタフェが出た時は衝撃だったけど、すごくキレイでかわいいし年月は経てど未だにあれを超える写真集はないと思う。最高の芸術作品だわ」と同作を絶賛する声も少なくなかった。





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1: 2021/03/28(日) 22:41:27.47 ID:CAP_USER9
「この度、V6は2021年11月1日をもちまして、解散いたしますことをご報告申し上げます」。3月12日、ジャニーズ事務所はV6の解散を発表した。「これからの人生、ジャニーズ事務所を離れた環境で役者としてチャレンジしたい」と明かし、事務所を退所するメンバーの森田剛(42)と、妻の宮沢りえ(47)の存在に注目が集まった。

 宮沢の半生に迫ったノンフィクション作家の石井妙子氏による「宮沢りえ『彷徨える平成の女神』」(「文藝春秋」2019年5月号)を特別に公開する。その才能の虜になった人々が明かした30年の波瀾万丈とは。(全2回の1回目/ 後編 に続く)

(※年齢・肩書などは取材当時のまま)

◆ ◆ ◆

■三井のリハウスCMに現れた「白鳥麗子役の美少女」

 改元にあたって、平成を代表する女性スターは誰かと考えたとき、彼女の名前が浮かんだ。

 宮沢りえ、46歳――。かつては人気や話題性が先行するアイドルスターであったが、近年は女優としての評価を高めた。映画では『紙の月』、『湯を沸かすほどの熱い愛』で各映画賞の主演女優賞を受賞。舞台でも、故・蜷川幸雄や野田秀樹ら一線級の演出家にオファーをされ続けてきた。今秋には蜷川実花の監督作品『人間失格』の公開も控える。

 また、昨年には二度目の結婚をし、母として小学生の娘を育てているが、そうした私生活は極力、メディアに語るまいとしているように映る。

 彼女は昭和の終わりに登場し、平成を駆け抜け、今の彼女となった。その軌跡を時代の中で振り返りたい。

 三井のリハウスのCMが始まったのは昭和62(1987)年。バブル期の真っ只中で、「一億総中流」といわれていた頃のことだ。「リハウスしてきた白鳥麗子です」と、たどたどしくセリフを語る少女の、可憐な美貌が話題を呼んだ。「白鳥麗子役の美少女」として、世間はまず彼女を認識したのである。

「宮沢りえ」として知られるようになるのは翌年のこと。映画『ぼくらの七日間戦争』への出演で、顔と名前が同時に知れ渡った。作品は管理教育を強いる教師たちに戦いを挑む中学生11名の物語。意外なことにキャスティングされたのは、三井のリハウス以前であったと監督の菅原浩志は振り返る。

「学級委員役だけが最後まで決まらなかったんですが、約1万2000人の中学生に会い、やっとりえに出会えた。自由の女神のように崇高で、皆が自然と従いたくなるような少女を探していたんです。演技経験はなくても良かった。りえを見た瞬間、『ああ、やっとみつけた!』と感じた。あの透明感。こんなにも清らかに育ってくれた少女がいたなんて」

 当時のりえはモデル事務所に所属していたものの、「女優になりたい」といった意志は当人にまったく見られず、映画出演を決めた理由も「中学生時代の思い出になりそうだから」というものだった。

https://bunshun.jp/articles/-/44150

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